受領名について

受領名とは官位です。特に刀工に多い、守は今で言う県知事です。しかし実際は国を治めた訳でもなく、その国に住んでいたわけではありません。ではなんでこんなに官位がつくのか解説してきます。

受領名の歴史

何時頃、刀工に官位が与えられるようになったか記録が正確でないので不明ですが、最古として有力な説は鎌倉初期の粟田口久国が大隈権守に任じられたということです。後鳥羽上皇の番鍛冶であったため無官では失礼ということで与えたと考えられます。また承久の乱以前ですので朝廷もまだ権威があり独断で任命できたという背景もあります。また守に任じられても名目上のものとして通用することになっていました。

 

時代も南北朝時代に入ると朝廷の権威も落ち、勝手に名乗る者が現われるようになります。刀工も武士のような名前を名乗っていますが元々あれは官位で律令に基づいたそれぞれの役所の官位名です。特に末古刀に見られる俗名とかがその例です。もちろん朝廷からの使用許可は貰っていないものがほとんどです。言い方が悪いかもしれませんが、ようはかっこつけるためです。時代が古い刀工の受領名は許可を得ている可能性もあります。

 

主な官位
守、衛門、兵衛、大じょう、などです。 それぞれの役目はマニアックですし刀工はそれらの任務をしなかったので省略します。

 

江戸時代は公家に対して大変厳しい規制が設けられました。これが新刀の受領刀工が増えた原因です。もはや朝廷の権威は失われて地に落ち、公家も経済的に困窮しました。ただ官位任命権はあったので次のような構図ができました。

 

伊賀守金道が家康の働きにより朝廷から日本鍛冶惣匠という役職を与えられました。この金道家が朝廷と刀工の仲介者となり受領を斡旋しました。この仲介で金道家に莫大な仲介料が入り、朝廷にも官位を与えるかわりに、その刀工の傑作刀や献上品が収められました。これが困窮した公家の財源にもなったので盛んに官位が与えられました。また刀工にしても無官よりも宣伝になったのです。

ただ余りに乱発されるに至って幕府はなるべく刀工に官位を与えないように忠告しています。あと宝永以降は武蔵守は将軍に失礼ということで禁止されました。人気があった名前は大きな国や重要な国の名前でした。

注意として受領しているから=一流ではありません。お金さえあれば手に入れることが出来たからです。無官でも素晴らしい手腕を発揮した刀工が多数います。

以上で受領名の解説はおしまいです。朝廷の盛衰が大きく関わっているということがポイントです。